今晩の夕食はカレーライスで決まり!!

カレーライス 日本の食卓に欠かすことのできない主食

 江戸末期になるとペルーが浦賀に黒船と共に来航し港を開くことを日本に要求してきました。この頃から日本は鎖国時代に終わりを告げ海外との貿易を考えるようになりました。長崎、箱館(函館)そして横浜が開港し海外との貿易が行われるようになると西洋料理が日本に入ってくるようになりました。牛肉やチョコレートなどもこの頃から食べられるようになります。しかしまだ当時は武士や貴族などの上流階級の人々の口に入る程度で一般の人々の間には手の届かない食品でした。そこで日本の食材を使ったアレンジメニューが登場するようになります。コトレット(仔牛肉をスライスして細かいパン粉をつけてフライパンで炒め焼きしたフランス料理。)をとんかつと改名し仔牛肉ではなく鶏肉を使って粗めの小麦粉をつけて大量の油で揚げたり、ラグー(大きく切った牛肉に野菜やトマトソースを入れて煮込んだフランス料理で肉を食べやすくする為に考案された。)をシチュー(野菜、肉、魚介類を出汁やソースで煮込んだ料理。)としたりしました。

 戦後になると欧米の食文化が日本にどんどん入り込み始め庶民の間でも手軽に西洋料理が食べられるようになりました。とんかつやシチューに加えてカレーも日本の食卓に登場し福神漬けが添えられたりじゃがいも、人参、玉ねぎが決まって入れられるようになります。インドでは淡水魚、イギリスでは鶏肉がカレーの材料の主役でありじゃがいも、人参、玉ねぎを入れることはありません。その後イギリス商船によりカレー粉が日本に持ち込まれるとスパイスを調合することなしにカレーを食べられるようにとレトルトや固形のカレーのもとが次々と各日本のメーカーで開発されるようになりカレーは急速に家庭料理として浸透していきます。更にそれぞれ独自のカレーも登場するようになり益々カレーは広がりをみせるようになりました。西洋料理と言うとカレー、ミートソーススパゲティ、ハンバーグなどは誰もが直ぐに思いつく料理名です。今回はそんな西洋料理の代表格でもあるカレーに迫ってみました。

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煮込み料理や炒め物に辛味や香りを出して色をつけ臭みを消し去るスパイス。

 小学館『日本国語大辞典』、ブリタニカ『ブリタニカ国際大百科事典』、講談社『世界の料理が分かる辞典」でカレーは ”複数の粉末スープを混ぜ合わせて作ったソースを用いた料理全般” またある書籍では ”スパイスを効かせた肉、魚、野菜の煮込み料理でライス、パン、コーンミールなどの炭水化物が加えられた食品” 或いは ”カレー粉で味付けしたすべての料理” としている。インドではもともとカレーという料理は存在せず南インドに住むタミル人が話すタミル語のスープの具という意味の「カリ」或いは香辛料で味つけされた野菜や肉の炒め物の意味である「カリル」が語源とされている。インドではもともと香辛料を使った料理が多くトラヴィタ人の話す言葉であるトラヴィタ語の野菜、肉、食事、おかずを意味する「カリ」を英語でカレー(curry)と呼ぶようになりカレーという言葉がいつの間にか普及したとされる。カレーは今でこそルーを入れれば出来上がるが本番インドでは様々なスパイスを調合して作り上げている。そこで一般にカレーに入っているスパイスを紹介します。

ターメリック(ウコン)ショウガ科ウコン科の多年草。インドネシアが原産国です。アーユルヴェーダやスパイス、根茎に含まれる黄色い色素は染料としてからしや沢庵、ヨーロッパではマーガリンやチーズの色づけパエリアのサフランライスに用いる。二日酔いに効くとされドリンク剤、錠剤もある。
カルダモンショウガ科ショウズク属の植物。イギリス、インド亜大陸が原産国です。第二次世界大戦後にグアテマラで生産され始め現在最も生産量が多い。ユーカリや樟脳に似た樹脂系の香りと微かなレモンの香りが混ざったような芳香がある。スパイスの女王、高貴な香り、香りの王様と形容される。肉料理の臭み消し、風味づけ、中近東では精油や種子の粉末をコーヒーに入れて飲むとコーヒーの害を無くすと考えられている。
生姜ショウガ科ショウガ属の多年草。熱帯アジア原産とする説が有力である。インドでは紀元前500~600年に中国でも紀元前600年前には用いられていた。血行促進効果がある。根茎部分を初夏に収穫してすぐに出荷する「新生姜」、貯蔵して香りと辛味が強くなる11月に食べる「根生姜」、根茎部分が小指程度になったら葉がついたまま収穫する「葉生姜」、根茎が15cmの長さになったら太陽の光を当てて紅色に変色したら収穫する「矢生姜」がある。新生姜は香辛料、根生姜は料理の添え物、葉生姜は生食用、矢生姜は料理の色彩りになる。
ニンニクヒガンバナ科ネギ属の多年草。中央アジア原産と推定される。紀元前3200年頃には古代エジプトで栽培利用される。中国が生産量の8割を占める。日本では青森県十和田市、香川県琴平地区、香川県仲多度地区、青森県田子町で栽培している。国産では青森県が第一位で8割を占めている。ビタミンB1を含む豚肉と一緒に食べるとビタミンB1の吸収が高まる。スコルジニンというニンニクに含まれる成分は滋養強壮に効果がある。
レッドペッパー(唐辛子)ナス科トウガラシ属の植物の果実。中南米原産です。紀元前6000年前にはメキシコで栽培される。日本へはポルトガル宣教師が持ち込んだのが始まりで「唐(外国)からの辛子」というのが語源です。沖縄ではコーレクスと言う。ヨーロッパに唐辛子を伝えたコロンブスがインド亜大陸をアメリカ大陸を発見したと間違えてインド亜大陸で栽培されていた胡椒の一種と勘違い唐辛子の種子をペッパーと呼ぶようになった。夏バテに効果がある。チリペッパーから品種改良された肉厚で大きなパプリカ、先端が獅子の頭に似ているシシトウ、中身が空洞であるピーマンなどがある。抗酸化作用、疲労回復、代謝促進効果がある。
クミンセリ科クミン属の一年生草木。地中海沿岸東部原産です。温暖湿潤な気候と水はけのよい肥沃な土壌を好み暑さと感想を嫌うので冬に栽培する。中世ヨーロッパでは結婚式などに婚姻を確かなものにすると信じられていて迷信やまじないめいた使われ方をする。腸管出血性大腸菌(O-157)のベロ毒素の産出を抑える。
ブラックペッパーコショウ科コショウ属のつる性植物。インド南西マラバール地方原産です。”胡” は中国より西方や北方の異民族を、”椒” はサンショウ属を指す。つまりは中国から西方から伝来した香辛料という意味になる。中世では山椒とともに料理に欠くことのできない香辛料であった。・黒コショウ(ブラックペッパー)→熟する前の緑色の実を長時間かけて乾燥させ黒くする。強い独特の風味がある。・白コショウ(ホワイトペッパー)→熟して赤色に変色した実を水に浸し外皮を腐らせ取り除いた白色の実。発酵食品とも言われ発酵精製過程により風味も異なる。・青コショウ→熟す前の緑色の実を塩漬け又は真空凍結乾燥させた爽やかな辛味のある胡椒。・赤コショウ→熟して赤くなった実。
マスタードパウダーアブラナ科アブラナ属の植物。中央アジア原産です。種子を粉末にして水又はぬるま湯で練って作る和がらし、酢、糖類、香辛料を配合して作る洋がらしがある。和がらしの辛味は水で溶くことで生じるが揮発性が高く長く続かない為にチューブタイプの和がらしは油脂や増粘剤を使用し辛味を持続させている。揮発性の辛味成分を吸引すると気道を刺激し毛細気管支炎、気管支肺炎、はしかなどに効果がある。
サフランアヤメ科アヤメ属の多年草。イラン原産であると考えられている。夏に厚く乾燥した風が吹き抜ける半乾燥地帯で繫殖する。その一方で短い時間であれば積雪などがある冬の寒さも乗り切る生命力を持つ。多くの水と陽光が必要です。めしべは独特の香りがあり水に溶かすと鮮やかな黄色を呈する。インドではサフランライス、スペインではパエリア、イタリアではリゾットに欠かせない香辛料である。
ナツメグニクズク科ニクズク属の植物の種子です。植物の種子からはナツメグ、仮種皮からはメースが作られる。精油はナツメグバターとなる。インドネシアのモルッカ諸島が原産です。インド人が古代の交易路を通じてインドネシア人から用法を学んだとされる。成熟した暗褐色の種子を天日干しして中にある仁を取り出して石灰または石灰液につけて乾燥させてナツメグ、仮果皮を乾燥してメースとする。果肉は火を通すと食用になる。インドネシアではスープの香辛料、肉料理に用いるグレイビーソースとして用いる。インドでは肉料理やデザートの風味づけにする。ナツメグ(種子)は生薬でもあり下痢止め、気管支炎、リウマチ、胃腸炎などに効果がある。
オールスパイスフトモモ科オールスパイス属の植物。中南米原産です。シナモン、クローブ、ナツメグ、の3つの香りを放つことに由来する。シナモン、クローブ、ナツメグと併用して用いることでマイルドな風味になる。糖尿病に効果がある。
ローリークスノキ科ゲッケイジュ属の常緑高木です。小アジア(アナトリア半島)原産です。葉を乾燥して香りづけや臭み消しに用いる。
カレーリーフオオバゲッキン(大葉月橘)又はナンヨウサンショウ(南洋山椒)。ミカン科ゲッキン属の植物。タミル語でカリヴェンプ。葉はカレーと柑橘類を足した香りがする。葉は香りが強い生のまま油で炒めてインド料理やスリランカ料理に香りづけとして用いる。種実には毒がある。葉・樹皮・根は滋養強壮に効果がある。材木は硬く農具して活用している。
フェンネルセリ科ウイキョウ属の多年草。ヨーロッパ、地中海沿岸が原産です。種子は米粒ほどであるので小ウイキョウとも言う。対して八角は大ウイキョウです。歴史は古くて古代ローマやエジプトで栽培されていて空腹を満たす食べ物として重宝されていた。魚のハーブと呼ばれ臭み消しに用いられる。消化吸収促進、口臭予防などの効果がある。
クローブフトモモ科フトモモ属の常緑樹の花卉。インドネシアモルッカ諸島原産です。花卉以外に枝や葉からもクローブオイルが抽出できる。中世ではオマーン人や中国商人の手により絹と共に大航海時代にはイギリス人によってナツメグと同様の主要な商品として取引された。口臭予防やお清め、芳香剤として用いる。
シナモンニッケイ族クスノキ科の常緑樹。インド、スリランカ、バングラディッシュ、ミャンマー原産です。紀元前4000年頃からエジプトではミイラの防腐剤として利用していた。江戸時代には日本にも入ってくる。葉や樹皮を素早く剝がし乾燥させて作る。質感が堅くて厚いチャイニーズシナモン、きめ細かく低密度なセイロンシナモンなどがある。漢方では桂皮と言い温熱作用がある。

※ガラムマサラとはシナモン・クローブ・ナツメグを基本として数種類のスパイスを組み合わせて作るものでインド料理には欠かすことのできないミックススパイスです。カレー粉との違いは色を加えるターメリック(ウコン)を入れないという一点だけです。サラダや野菜炒め、焼き飯などあらゆるインドの家庭料理に用いる。

インド亜大陸から独特に進化を遂げて広まったカレー料理。

イギリスミートパイ
イギリスポークミートパイ

 カレーと一口に言っても国により料理内容は全く異なります。もともとの発祥はインド亜大陸です。インド亜大陸の気候は暑気(4~5月)と乾季(11月~3月)と雨季(6月~10月)があります。

 北インドでは暑気(3月~5月)は40℃くらいまで気温が上昇し乾季(11~2月)は10℃まで下がります。雨季(6月~10月)はさほどの雨が降ることもなく日本の梅雨時くらいです。乾季は寒いので牛乳や生クリーム、バター、カシューナッツを原料にこってりした濃厚な油分の多いカリル(野菜や肉の炒め物)が特徴です。そしてナンやチャパティ、パラーターなどのパンと一緒に食べます。小麦粉がよく育つ乾燥地帯であることが理由です。

 南インドでは暑気(3月~5月)も乾季(11月~2月)も平均して20℃~25℃くらいで年間を通して高温多湿です。雨季は降水量が多く北インドに比べて3倍の雨量になります。高温多湿なので暑さが厳しく酸味やスパイスを効かせたカリルが多いのが特徴です。温暖で魚や野菜、豆などの食材が豊富に採れそれほど煮込まないさらりとした口当たりのスープのようなカリル(野菜や肉の炒め物)が主流です。米が主食で短くて丸い日本と同じジャポニカ米を添えて食べます。比較的温暖で雨も多く水が多いことで稲作が盛んです。

 東インドではベンガル料理を食べます。ベンガルールはデカン高原に位置し年間を通じて20℃前後で爽やかな気候です。米や魚をよく食べ日本と同じような食習慣があります。インドではアーユルヴェーダという伝統医学が存在し生きているものは全てトリ・ドーシャというヴァータ(運動エネルギー)、ピッタ(変換エネルギー)、カパ(結合エネルギー)という3つの要素を持って生理機能が支配されると考えてられている。体質や季節、日常の生活、食事によってドーシャ(体質)は変化するとしていてカリルもその都度香辛料を調合し作られている。インドは複数の勢力が台頭するので多宗教国家でもあります。ヒンドゥー教は牛を神聖なものとしているので食べない、イスラム教は豚肉を食べない、仏教は刺激の強いスパイスを避ける、ジャイナ教徒は野菜中心の菜食主義者、シク教はどんな宗派でも受け入れるので野菜中心です。よってカリルの具材も鶏肉や羊肉が中心となります。

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 イギリスはローストビーフや牛肉にパイ生地を入れて焼き上げるミートパイなどの手間をかけない料理が多く牛肉を入れて小麦粉を加えて煮込んだカレーが多い。タイは独立国としての地位を守り続けてきたので独特な香辛料がありこぶみかんの葉(カフェライムリース)やレモングラスなどのハーブやナンプラー(魚醬の一種)などの発酵調味料などを入れたカレーがある。このように国や地域によって微妙に違うのでカレーは一つの料理ではないのです。ここからは具体的に国ごとのカレーなるものを見ていきます。

ミャンマー:中国、インド、バングラディッシュ、タイ、ラオスの5ケ国と国境を接する。多民族国家で人口の6割をビルマ属が占める。カレン族、カチン族、カヤー族、ラカイン族、チュ族、モン族、シャン族、ユーカン族など少数民族も暮らす。インディカ米が主食で副菜を一緒に食べる。朝食は麵類や揚げパンを食べるが昼食と夕食はお米を欠かせない。副菜には玉ねぎをベースとして豚、牛、羊、鶏の肉と内蔵、魚介類、野菜を多量の油と少量のスパイスで煮込んだ 「ヒン」が食される。和え物とし野菜を多く使った料理が提供される。ポークカレー、ビリヤニ風カレー炊き込みご飯など。

タイ:インドシナ半島中央部とマレー半島の北半分を占める国土を持つ。マレーシア、カンボジア、ミャンマーと国境を接する。プラユット将軍率いる軍事クーデター以来軍事独裁政権が続いている。蝦に塩を加えて発酵させたカピという調味料、チリ、パクチー、こぶみかんの葉などの香辛料、ニンニク、生姜、玉ねぎなどの香味野菜やハーブを多用した多彩な味つけの料理がある。グリーンカレー、マッサムカレーなど。

カンボジア:インドシナ半島南部に位置する立憲君主制国家。タイ、ラオス、ベトナムと接する。ポルトガル人やスペイン人、オランダ人が到来し、フランス領となった。その為唐辛子などのスパイスを使った料理、バケットやパテ(肉や魚などの具材を細かく刻みペースト状にして練り上げたフランス料理。)などがある。食事はスープ状のおかずとご飯の組み合わせを基本に和え物、炒め物、焼き物、漬物を付け加える。甘味、酸味、塩味、苦味、渋味が際立つ味付けで唐辛子で辛味を加えて食べる。アモック(白身魚と玉子のドライカレー)、クメールチキンカレー(レモングラスとこぶみかんの葉、エシャロット入りのカレーペーストにココナッツミルクと砂糖を加えたカレー)など。

インドネシア:東南アジア南部に位置する共和制国家。首都はジャカルタ。1万3466もの大小の島々から成る。大航海時代に香辛料を求めてポルトガル人、スペイン人、オランダ人が来航した。スペイン人はメキシコからフィリピン経由で唐辛子、サンドマメ、とまと、とうもろこし、じゃがいもをポルトガル人はアフリカとブラジルからピーナッツ、ハパイヤ、パイナップル、さつまいも、キャッサバ、オランダ人はキャベツ、人参、カリフラワーを持ち込んだ。インドネシア共和国のセラム海とパンダ海に分布する群島のモルッカ諸島はナツメグ、クローブ、胡椒の生産地であった。西スマトラのパタン料理はイスラム文化の中近東やインド方面の影響から肉を使った辛い料理、ジャワ島ではヒンドゥー教と仏教から豆や野菜の料理が見られる。バリ島ではヒンドゥー教でイスラム教を信仰していないので豚肉も食べられる。ソトヤアム(レモングラス、にら、みかんの葉を使用した鶏肉と春雨のスープ料理。)など。

シンガポール:シンガポール島及び60以上ある島々から成る国。教育、娯楽、金融、ヘルスケア、人的資本、イノベーション、物流、製造技術、観光、貿易、輸送の世界の中心とされる。商業都市らしく国民のほとんどが毎日フルタイムで働いている為に外食するのにフードコート(ホーカーズ)が充実している。湖州、福建省の華人料理、南インド料理、マレー系住民が大半なのでマレーシア料理が混合している。フィッシュヘッドカレー(コエダイの頭を赤唐辛子、レモングラス、エシャロット、カレーリーフ、ターメリックなどのスパイスやハーブと砂糖で煮たカレー。)、海南チキンライス(生姜、チリソース、醬油で茹でた鶏肉を入れ鶏がらスープで炊いたご飯。)、ラクサ(華南料理とマレーシア料理の融合でココナッツミルクの入った汁麵)など。

スリランカ:南アジアのインド亜大陸の南東に浮かぶ島国。7割が仏教徒です。イスラム教のムーア人、ポルトガル系、オランダ系、ドイツ系、イギリス系のバーカー人、先住民族ワラヤニ・アットゥなどが居住しているのでそれぞれの民族料理がある。ココナッツミルクでマイルドに仕上げていてかつお節に似た乾物のモルジブフィッシュを使用した料理が多い。ムーア人は魚の頭や海老を使ったカレー風味のブイヤベース「クール」、バーカー人はカレー風味のコロッケ「カトレット」、先住民族のワラヤニ・アットゥは野生動物の肉をハーブや雑穀で煮た「タダマス・アアナマ」などを食べる。

インド:南アジアに位置するインド亜大陸の大半を指す。パキスタン、中華人民共和国、ネパール、ブータン、ミャンマー、バングラディッシュと国境を接する。ヒンドゥー教が80.5%、イスラム教13.4%、キリスト教2.3%、シク教1.9%、仏教徒0.8%、ジャイナ教徒0.4%を占める。アイヤーヴァリ教徒、ゾロアスター教徒など少数民族も存在する。インド料理は一つのスタイルとして定着していて特徴としてさまざまなスパイスをふんだんに使い地域や民族、宗教、階級などによりバリエーション豊富です。食用油も異なり東は菜種油、西は落花生油やベニバナ油、南はココナッツオイル、北は胡麻油を使う。

・北インド料理→パンを主食として牛乳セタビー(ヨーグルトの一種)、パニール(チーズ)、ギー(牛や水牛の乳やバターを煮て水分やたんぱく質を取り除いた油。)などの乳製品を使い、クミン、コリアンダー、シナモン、カルダモン、ガラムマサラで香りづけしインディカ米の一種であるバースマティーと一緒に食べる。ムルグマッカーニ(バターチキンカレー)、キーママータ(キーマーカレー)など。
・南インド料理→ココナッツミルク、マスタードシード、カレーリーフを使いさらっとしたカリルがよく食べられる。菜食主義で野菜や豆が多く、魚料理もある。米は丸くて粒状のジャポニカ米です。アヴィヤル(野菜とヨーグルトのカレー料理。)
・東インド料理→インディカ米を主食とした魚料理が多い。バングラディッシュと地続きの為にベンガル料理も食べる。ベンガル料理は野菜を中心に西洋料理のように前菜から始まりメイン、デザートと料理を順番に提供する。マスタードオイル、マスタードシード、ターメリックを使ったマチェル・ジョル(ベンガルフィッシュカレー)、バパ・チョッチョリ(魚と野菜のスパイス蒸し焼き。)など。
・西インド料理→パラータ(チャパティーの生地を伸ばしてギーを折り畳むことを数回繰り返して伸ばしたパン。)などのパンと米のどちらも主食とする。ジャイナ教徒が多く菜食主義です。ヴィンタルー(肉と酢とニンニクで煮込んだカレー料理。)、グシャラート・ターリ(野菜を主とする定食。)、カディ(凝乳とスパイスのカレー料理)など。

ここでカレーと一緒に食べられるパンをご紹介します。

  • チャパティー…全紛粒、塩、水を2mm程度の厚さに丸く伸ばし焼いたパン。インド、パキスタン、バングラディッシュ、アフガニスタンで食べられる。
  • パラーター…全紛粒、塩、水をこねた生地にギーを塗り数回折り畳み薄くのばし焼く。インド、東アフリカで食べられる。
  • ロティ…全紛粒に耳たぶくらいの硬さになるまで水とグレープシードオイル(ぶどうの種子から摂れる油。)、コリアンダー、フェンネル(葉は魚料理との相性が良く臭み消しに、茎はスープやサラダの具材にする。香味野菜でもある。)、ペッパーを加え混ぜ合わせ直径12cmくらいの大きさに丸く整え油で両面を膨らみが出るまで焼く。インド、パキスタン、アフリカ諸国で食べられる。
  • ナン…強力粉、砂糖、塩、ベーキングパウダーを混ぜた生地を3mmの厚さにして両面を焼き色がつくまで焼く。西アジア[イラン、イラク、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、イスラエル、トルコ]、南アジア[アフガニスタン、バングラディッシュ、ブータン、インド、イラン、モルディブ、ネパール、パキスタン、スリランカ]、東南アジアの一部、カリブ海地域で食べられる。

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ネパール:東、西、南の三方をインドに北方を中華人民共和国チベット自治区に接する内陸国です。国土はヒマラヤ山脈及び中央丘陵地帯と南部のタライ平野から成る。ヒマラヤ登山の玄関口である。ヒンドゥー教、仏教、全てのものに魂が宿るとされる考えを持つアニミズムが混在する。食事は朝食と夕食で昼食は軽く菓子やパンを食べる。地形からインド料理と中華料理、チベット料理を融合したような料理がネパール料理として出される。スパイスは控えめであっさりしたカレー料理が多い。タルバート(レンズ豆をタールタンク、クミン、コリアンダーなどで煮込んでご飯にかける。)など。

パキスタン:南アジアに位置しインダス川領域に国民の75%が住んでいる。中華人民共和国、アフガニスタン、イランと国境を接する。インド亜大陸に接するのでインド料理や中央アジアの近世帝国であるムガル帝国であった影響からインド北部と同じようなこってりとした鶏肉や羊肉を素材とした料理がある。イスラム教の教義により豚肉は食べない。朝食はパンに卵料理、昼食は米やパンとカレーやシチュー、夕食はビリヤニ(米、肉、魚、卵や野菜などで作る米料理。)、ニハリ(牛と羊のすね肉のシチュー。)、ピラフ(炒めた米を出汁と香辛料で炊いた米料理。)、キコフテ(牛と羊の挽き肉にスパイスや玉ねぎを加えて団子状に丸めた料理。)、コルマ(ヨーグルト、生クリーム、ナッツ類のペーストをベース作る煮込み料理。)など。

ドイツ:中央ヨーロッパ西部に位置する。ドイツ料理は大別するとカルダン・エッセンというソーセージ、ハム、チーズなどの冷たい料理とウォルメスというザワークラフト(キャベツの塩漬け)、アイスバイン(塩漬けの豚肉を玉ねぎやセロリ、クローブ、で煮込んだ料理。)など温かい料理に二分される。ビールや白ワインが飲まれソーセージもよく食べる。玉ねぎとじゃがいもも食べる。カリーヴルスト(豚肉と仔牛肉のブレンドしたソーセージを茹でてケチャップとターメリック、クミンを主原料にしたカレー粉をかける。付け合わせにフライドポテト、キャベツの塩漬けを添える。)

イギリス:グレートブリテン島、アイルランド島、その周辺の島々から成る立憲君主制国家です。さまざまな民族が往来しイギリスを占有していたのでイングランド人、スコットランド人、アイルランド人、ウェールズ人の他にインド人、アフリカ人、アラビア人、中国人が住んでいる。イングランド、ウェールズ、スコットランド、北アイルランドという4つの国の連合国である。じゃがいもを揚げたチップス、焼いたベイクドポテト、茹でた粉吹芋を主食とする。副食として薄くスライスしたパンにジャムやバターを塗りベーコンや卵料理などを付け合わせて食べる。小麦や米で作ったプリンもデザートとして食べる。産業革命以降の都市居住の労働者階級の賃金では食材を豊富に揃えることは出来ず重労働に従事していて調理に手間をかけられず衛生面からもとにかくよく火を通し食べることに注力した為にシンプルで素朴な料理が多い。大航海時代に大英帝国を築いた歴史を持つイギリスは北アメリカ、インド、オートラリア、ニュージーランド、南アフリカを植民地として世界中にこれらの国々の料理を広めた。カレーは大航海時代にスペイン人やポルトガル人が極東と取引をするのを見て焦りを感じインドに対して香辛料を目当てに独占しようとイギリス東インド会社を設立し勢力をペルシャ湾(イラン、イラク、クウェート、サウジアラビア、バーレーン、カタール、アラブ首長国連邦、オマーンに囲まれた細長い形状の湾。)、アジアへと広めていく中で伝わった。牛乳は保存が効かないのでその代わりに香辛料を使い小麦粉と混ぜ合わせて野菜を入れたシチューを作っている内にカレーという料理が生まれたとされる。チキンティッカマサラ(壺窯型オーブンで焼いてた鶏肉をトマトとクリームをベースにしたソースで煮込んだ料理。)はインドのカリルをアレンジしたイギリス発祥のカレー料理です。

日本:1853年(嘉永6年)ペルーが浦賀に来航し日本に開国を迫ります。この頃から海外との交流が盛んに行われるようになり1863年(文久3年)幕末の混乱を避ける為に使節団がフランスのナポレオン三世に助力を求めて欧州に派遣される船上で1871年(明治4年)に国費留学生として山川健二郎(会津藩山川尚江重固の次男。会津藩白虎隊の一員として唯一生き残った人物。国費留学生として渡米し物理学を学ぶ。後に東京帝国大学総長、京都帝国大学総長を兼任する。明治専門学校初代総裁でもある。)がアメリカに留学する際にもカレーを目にしている。その後著書の中でもカレーが紹介されるようになったり、クラーク博士(幼少期から化学や動物、植物に興味を抱きマサチューセッツ州の名門大学であるアマースト大学に留学し化学を専攻する。博士号を取得すると動物学や植物学の教授としてアマースト大学にて教鞭をとる。その後に同志社大学の創業者である新島襄の仲介により札幌農業学校に教授として就任する。)が札幌農業学校でカレーを推奨したりと徐々にカレーが日本に広まっていきます。この頃ヱスビー食品が国内で初のカレー粉の販売に着手します。1877年(明治10年)に東京の喫茶店「風月堂」でカレーが初めて提供されます。これを受けて明治43年大阪自由軒でカレーをアレンジした混ぜカレーが売り出されます。昭和に入ると新宿中村屋がインド革命家のラス・ビバリ・ホースからレシピを伝授されインド式カレーを発売します。続けて資生堂パーラーもカレーをメニューとして出すようになりカレーにうどんを足したカレーうどんや西洋から入ってきた小麦粉を使ったカレーパンなど次々と新しいカレー料理が誕生していくことになります。太平洋戦争か勃発すると一時家庭からカレーは姿を消しますが軍用のカレー粉は製造が続けられます。太平洋戦争が終焉を迎えると子供用の甘めの味つけのカレーや激辛ブームに乗って大人向けの香り高いスパイスが効いたカレー、アレルギー対応のカレー、ホテルやレストラン風の味に仕上げたカレーなどさまざまな嗜好に合わせたカレーが開発されカレーは家庭料理として再び脚光を浴びることになります。

イギリスから軍事用として伝わった日本のカレー。

横須賀海軍カレー
横須賀海軍カレー。

 日本のカレーは第二次世界大戦中に当時インド亜大陸を植民地化していたイギリスが自国に持ち帰り牛乳の代わりに香辛料を入れて食べるようになっていたものを軍人用カレーとして食べたのが始まりです。著書の中でカレーが紹介されたり、クラーク博士が札幌農業学校で推奨したりするうちに次第に広がり始めました。カレーうどんや混ぜカレー、カレーパンはカレーという新しい西洋の食べ物を何とか日本風にアレンジすることは出来ないかと試行錯誤の末に誕生したカレー料理でした。

 海軍カレーは日本海軍の軍医高木兼寛がビタミンB1の欠乏により心不全と末梢神経障害を引き起こす脚気の予防のために考案したのが始まりです。当時は浅利カレー、伊勢海老カレー、チキンカレーなどが様々なカレーが作られていた。カレーは海軍が最初に考えたとされているが実際には西洋のシチューに香辛料を入れ改良した食べ物がイギリス人から伝わり札幌農学校のクラーク博士が給食として提供しやがて全国規模にまで広まったのがきっかけである。海軍カレーは全国にカレーという食べ物が広まり始めた矢先に兵食として提供されたので誤って海軍カレーが先であるかのように話が伝播したのではないかと言われる。また海軍カレーは勤務が休みになる前の土曜日の午後に野菜を入れて煮込むだけで簡単に調理できるとして提供されていたが昭和60年(1985年)に週休二日制となったことから次第に金曜日の昼食として出されるようになった。しかし必ずしも金曜日にカレーが食べられている事実はなく曜日を忘れないように金曜日はカレーの日に決めているという説は噂にすぎない。

 神奈川県横須賀市には横須賀鎮守府が置かれ現在でも横須賀海軍基地がありカレーの街としてキャラクターであるスカレーを登場させウェブサイト ”カレーの街よこすか” を立ち上げ京浜急行電鉄とのコラボレーション企画を立案するなど街おこしに取り組んでいる。海軍カレーの最も古い文献『海軍割烹術参考書』に掲載されているカレイライスのレシピを参考にカレーライス、サラダ、牛乳の3点セットで提供している店舗をよこすか海軍カレーと認定している。

 青森県むつ市には大湊警備府が置かれ現在は大湊地方隊があり護衛艦で食べられているカレーをご当地グルメとして普及させるべくむつ市とむつ商工会議所、大湊地方総監部で協力し市内の各店舗でレシピが伝授されている。

 広島県呉市には帝国海軍の呉鎮守府が置かれ現在は海上自衛隊呉地方隊がある。呉市役所と呉地方隊は協力体制を敷いて呉市内の飲食店に各艦艇陸上部隊のレシピを提供している。艦艇の調理師が直々に店舗に出向き実地指導しており時々は抜き打ち検査も実施している。

日本で生まれた様々なカレー料理をご紹介します。

  • カレー南蛮:そばやうどんに長ねぎ、玉ねぎを入れた料理。明治41年に大阪のそば屋がカレーをなんとか取り入れようと考案した。明治30年に東京のそば屋が考え出したとする説もある。最初はそばを入れていたが後に関西ではうどんを入れるようになった。南蛮とは南からやって来たという意味である。カレーうどんとの違いはねぎが入っているかいないかであり鴨南蛮や肉南蛮などの料理もねぎが入っている。意図としてねぎはもともと中央アジア[アフガニスタン、バングラディッシュ、ブータン、インド、イラン、モルディブ、ネパール、パキスタン、スリランカ]や中国西部が原産で南蛮(南に住む)人々が食べていたからである。
  • 混ぜカレー:カレーソースとライスがすでに混ざった料理。明治43年大阪の難波で最初の西洋料理店自由軒が開店します。自由軒という店名には海外の文化が流入した明治時代に新しい風を感じられるようにとの願いが込められていました。保温機能がそれほど発展していない時代に温かいカレーを食べてほしいとカレーにご飯を混ぜて当時貴重であった栄養価の高い卵をのせて味にこだわり商品化されました。西洋料理が日本に浸透してまだ間もない頃に片意地を張らずに気軽に食べられる料理として好評を博した。
  • カレーパン:カレーの入ったパン。1927年江東区の名花堂の2代目であった中田豊治が関東大震災で被災した店の再建をかけてカレーとカツレツを取り入れた洋食パンというパンを考案した、1934年に練馬区のデンマークブロードでカレーのサンドイッチが最初に発売されて後に揚げることで完成した。新宿中村屋がインド式カレーを販売した時に思いついたとも言われる。
  • 焼きカレー:昭和30年ご飯の上にカレーをかけチーズと玉子をのせて焼いた料理。北九州市門司港にあった和食店の山田屋が土鍋にカレーを注ぎグラタンのようにオーブンに入れて焼いたところ実に香ばしく美味しく仕上がったのでメニューに加えたのが始まり。国際貿易港ととして明治から繫栄した北九州市門司区港町は洋食文化がいち早く取り入れられて定着していく。店舗によりバリエーションもさまざまで白ごはんの代わりにバターライス、ドライカレー、具材は牛肉やふぐやたこなどの魚介類などが入っていた。2007年から焼きカレーで観光復興と地域活性化を目指して「門司港焼きカレー俱楽部」を設立ロゴマークも商標登録した。
  • スープカレー:鶏の骨付きもも肉と粗く切った野菜を鶏がらスープに入れスプーンでスープにご飯を浸して食べる料理。2000年頃から札幌市でブームになった。現在は函館、旭川、帯広、富良野の他、東京、横浜、名古屋、大阪、海外においてはシンガポール、バンコクなどでも見られる。アジャンタ薬膳カリー店店主辰尻宗男氏は薬売りの行商で有名な富山県生まれで札幌に移り住み喫茶店を始める。薬膳カリイという漢方とカレーを融合したカレーを考案した。初めは具なしカレーでしたが後に出汁をとった鶏肉や人参、ピーマンも入れるようになった。
  • カツカレー:カレーライスの上にカツがのっている。大正7年浅草にオープンした河金が丼の上にキャベツととんかつをのせて上からカレーをかけた料理「河金丼」を考案したとも昭和23年銀座レストラン「銀座スイス」で巨人軍の千葉茂氏がカレーにカツをのせて欲しいと注文したのが始まりとも言われます。

 また神保町はカレーで有名です。神保町は江戸城(現在の皇居)の北側に位置し江戸時代に武家屋敷が立ち並んでいました。旗本という身分にあった武士神保長治の屋敷があったことから神保町と名付けらました。大正2年当時下宿屋や学校、書店などが多かった神保町の寄宿舎付近で火災が発生し神田高等女学校の教員であった岩波茂雄は焼け野原に岩波書店の前進となる古書店を開店しました。やがて本を求めて大学生や教養人がこぞって神保町に足を運ぶようになると一誠堂、東京堂といった現在では誰もが知っている大型書店ができて書籍を読みながら食事をするのにカフェも書店ができるのに比例して立ち並ぶようになりました。2000年以降はカレー専門店も出店するようになります。日清戦争後に中国からの留学生がやって来ると理髪店、中華料理店もでき始め第二次世界大戦が終わると喫茶店、飲食店、レストラン、CD店、ホテル、映画館などが出店するようになり自由で新しい文化の風が吹き始め神保町は様変わりしていきます。キッチン南海は1960年(昭和35年)に飯田橋で開店したレストランでしたが1964年(昭和39年)に神保町に移転してきました。当時の麻雀ブームに乗り雀荘への出前を始めるなどして2020年(令和2年)に老朽化で閉店するまで60年に渡り続きました。神保町という土地柄から編集者や作家にも愛されるお店でした。ここで提供しているカツカレーは薄い衣で揚げたカツに野菜の旨味が溶けだしたカレーがかかっていてそれほど辛くなく辛さが苦手な人でも食べられる熱々出来たてのカツカレーでした。

神保町

 金沢カレーもいわゆるカツカレーです。東京の東洋軒(旧国鉄系の食堂車営業会社)や数々のレストラン、ホテルなどで修業を重ねた田中吉和は金沢駅東口にある「レストラン・ニュー・カナザワ」で初代チーフコックとして勤めると地元の金沢市高岡町で「洋食タナカ」を開業しました最初は野菜、果物が入ったらカレーでしたが1963年(昭和38年)に試行錯誤の末にカツカレーが生み出されました。その後一緒に店を運営してきた愛弟子や味に魅了された常連客が金沢カレーを広めます。ステンレス製の皿に濃厚なとろっとしたルーにカレーソースのかかったカツをのせキャベツを添えた金沢カレーは金沢のご当地グルメとして流行しています。最初に金沢カレーと名付けたのは2003年(平成15年)創業の大手カレーチェーン店のゴーゴーカレーでした。金沢カレーのように地域名+カレーという呼び方はイギリスがインドを植民地としていた時にインドのカリやカリルを総称して伝える為に編み出された名称で今に至っています。

 カレーは手軽に食べられる料理であるので今では全国各地でご当地カレーなるものが登場しています。長野や青森はりんごの産地であるのでりんごカレー、広島は牡蠣の養殖で有名で牡蠣カレー、沖縄はゴーヤが良く育ち食卓には必ず登場する食材である為ゴーヤカレーとそのバリエーションは留まることを知りません。全国各地津々浦々のご当地カレー皆さんも一度は味わってみたいのではないでしょうか。今晩の夕食はカレーライスで決まりでしょうか。

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